2021-03-19 第204回国会 衆議院 外務委員会 第4号
アレキサンダー大王、一代にして、マケドニアから始まりましてインドに及ぶ大帝国をつくるわけでありますが、まさに力の象徴であったアレキサンダー大王も、力によって得たものは長続きしない、信頼によって得たものは永遠であるという言葉を残しております。 私も、そういった意味で、対話であったり、そしてまた平和的な解決、これを基本に日本外交を進めていきたい。
アレキサンダー大王、一代にして、マケドニアから始まりましてインドに及ぶ大帝国をつくるわけでありますが、まさに力の象徴であったアレキサンダー大王も、力によって得たものは長続きしない、信頼によって得たものは永遠であるという言葉を残しております。 私も、そういった意味で、対話であったり、そしてまた平和的な解決、これを基本に日本外交を進めていきたい。
古代ギリシャの英雄アレキサンダー、わずか十年でマケドニアからインダス川にわたります大帝国を築いて、まさに力の象徴のように見えるアレキサンダーでありますが、アレキサンダーも、剣によって得られたものは長続きしないが、優しさと節度によって得た愛は永遠である、こういう言葉を残しております。
私は、日本の外交政策、特に大陸に対する外交政策が、イギリスの欧州大陸に対する政策が非常に参考になると申し上げたのはそういう意味で、イギリスは、したたかな人たち、あれだけの大帝国をつくった人たちですから、我々には非常に参考になることが多いと思いますし、いつの日かは、イギリスの船がまた太平洋に帰ってきて、そして、イギリス、アメリカ、日本、オーストラリア、たまたまほかの国はみんな英語をしゃべる国ですが、海洋国家
私の愛読書である「ローマ人の物語」の中で、著者の塩野七生氏も、未舗装の道が当たり前だった当時、平坦かつ石によって舗装されたローマ街道は、まさに高速道路であり、ローマの大帝国への発展を決定的なものとしたと叙述されています。 まさに高速道路は、国家の成長、発展にとって必要不可欠な、大動脈と呼ぶべきものであります。
地政学的にも大変重要な位置を占めておりまして、中国とロシアの二大国に挟まれて長らく両国の支配下にあったいにしえの大帝国でありますけれども、社会主義の放棄から十五年余りを経て、今や人口の半分が十八歳以下という若い国に生まれ変わりまして、国際社会での存在感も徐々に表れてきております。
最近完結しました塩野七生さんの「ローマ人の物語」という本を見ていますけれども、私は何か昔からどうしてローマというのは大帝国をつくってずっと繁栄して、その前に帝国をつくっていたギリシャ人、アテネとかスパルタはすぐ滅びたんだろうという疑問を持っていたんですけれども、アテネとかスパルタの人はやっぱりアテネとかスパルタで生まれた人以外は受け入れなかったんですね。
しかし、十八世紀にいわば象徴的な大帝国が解体ないしは中央の力が急速に弱まるという、そういう並行的にイスラム世界全体で起きたこともまた事実であります。
ここでローマとか古代中国という古代の大帝国は横へ置いて考えていただきたい。この古代の大帝国が紀元前何世紀かで崩壊した後に起こるドラマが最大のドラマなのでございます。 ヨーロッパの国民国家というものが、つまりドイツ、フランス、イタリアなどがおぼろげに歴史上にあらわれてきますのは十世紀、かなりはっきりしてくるのが十三、四世紀。
ですから私は、現在ロシアに起きておりますことは、かつてユーラシア大陸で何回か起きましたような大帝国の崩壊、モンゴル帝国が崩壊して今のような人口四百万ぐらいの国になってしまうとか、それからトルコ帝国も、あれもオットマン帝国はかつては現在のロシア南部から中東、北アフリカまで大阪図を持っておりましたけれども、それが今の小アジア版図に縮こまってしまうと。
これはどういう資料かというと、満州事変は昭和六年でございますが、それより二年早く満州人と蒙古人自身が満蒙帝国というものをつくろう、そしてロシアからも漢民族からも自由な大帝国をつくろう、そして皇帝に退位した宣統帝溥儀を持ってこようといって計画をつくり、溥儀の許可も得て、溥儀から資金の協力まで得ている、こういう資料があるのでございます。これを東京裁判では却下されてしまった。
最初に、非常に長期的な見通しで申し上げますと、これは国内における政治すら一寸先はやみと言われるわけで、まして国際政治はノーボディーノーズでございますが、しかし一つの見方ということで申し上げますれば、私は、二十一世紀の前半、中葉くらいまでの間に、この地球上に残った最後の大帝国主義国家である――帝国主義という意味は一つの民族が他民族を暴力によって支配する体制という意味で申し上げているわけでございますが、
欧亜にまたがる大帝国を築いたアレキサンダー大王の治世はわずか三十年であり、同じく歴史上最大のジンギスカン帝国もわずか七十年であります。そのほか、武力、権力によって他民族を征服した英雄の鴻業は終局において例外なく失敗しております。近世においても、十九世紀ヨーロッパ諸国の植民地とされたアジア、アフリカの諸国も、今日はすべて独立の道を歩んでいるのであります。
その中で、たとえばイスタンブールに参りまして、かつて欧州、アジア、アフリカの三大陸にまたがって六百年もの長い間築いた大帝国、オスマン・トルコ帝国、これの滅亡、あるいはローマの昔、あるいはチュニジア、ここは御承知のとおりカルタゴでございます。こうしたところが、かつては、それこそ世界に覇を唱えるほどの強大な民族であった。
この規定は従来いろいろ論議されておったのでありますが、はしなくも石橋内閣の成立に当り、いやその以前の鳩山内閣のときにおきましても、かつての大帝国として世紀の立役者であられた野村先生が、防衛庁長官の話題にお上りになった。
十八年の暮れでありますが、世界は二大陣営に戦後にわかれる、ソ連はヨーロッパ、ロシヤを連ねる歴史以来ない大帝国になる、アメリカもとよりしかり、英国は二流国に転落してしまう、そうして日本は消滅してソビエトのオービットに入るという予言が一つあります。もう一つは、スマッツ将軍は御承知のごとく、第一次大戦のときでも南アフリカ共和国の首相でありました。二度とも首相として戦争をやつたのはこの人一人だと思う。